とある大学生の世界一周一人旅

一人旅の日記がわりに。

ダハブ→ヌエバ 半野宿

ダハブからヌエバ

昨日の夜、ダハブからヌエバに行くために、gobusでバスのチケットを取った。ダハブ、ヌエバ間は、私の知る限り、バスかタクシーの二択となる。宿の主人に聞くと、タクシーは400ポンドくらいが相場だそうだ。

また、ダハブにはイーストデルタ、gobus、bluebusの三つがあり、そのうちイーストデルタ、gobusのみがヌエバ行きを取り扱っている。私は、一応3つとも尋ねてスケジュールを確認した。

f:id:akiraaraki45:20190630162020j:imagef:id:akiraaraki45:20190630171036j:imagef:id:akiraaraki45:20190630171213j:image

 

カイロ行きはどこも在るが、bluebusは一番高くて上等なバスで、見た所、現地人に一番人気がある感じだった。ただ、自分的には、一番安いイーストデルタでもそれほど不自由は感じなかったので、おためしあれ。(私は遭っていないが、たまにセクハラがあるらしいので、女性の方は気をつけて)

 

今回は、なんとなくgobusを選んでみた。ヌエバまではなんと1時間ほどでついてしまう。3時間くらいかかると思い込んでいたので、ヌエバで時間を持て余す羽目になった。しかも、午前にチケットが売られて、午後に船が出港すると聞いていたのに、来てみれば、夜にチケットが売られ、朝に船が出るらしい。売り場のおっちゃんに、夜の8時に来いと言われてしまったので、とりあえず近くのカフェに逃げ込んで作戦を練る午後1時。因みに、近くに公衆便所があったおかげで、トイレは全然問題なかった。(しかし、女用は閉まっているので男用を使わなければいけない上に、個室トイレの鍵が壊れていて閉められない。使うの大変だったぜ...)

 

荷物

とりあえず、バックパックが重く、動くに動けないため、こいつをどうにかしようと考えた。スマホは生憎、データ切れで、インターネットも電話も使えない。噂で、船の待合所があると聞いていたので、そこにバックパックを置こうかと思ったが、昼間だからなのか空いていなかった。仕方がないので、グーグルマップで見つけた近くのホテルに預けてもらうことにした。キャッシュはたくさん持っていたので、値段によっては泊まっても良いかなぁとも思っていた。だが、聞いてみると、一泊550ポンドと、少し高い。泊まるのはやめにした。荷物を置けるか聞くと、快く引き受けてくれた。レセプショニストのイイマーンさん、アフロの似合うおっさんである。

 

過酷な散歩 (*閲覧注意 犬の死骸あり)

重い荷物から解放されて、軽やかステップで、モスクのある方面を散歩してみようと考えた。そのモスクは、遠くからでもよく見える程に立派なものだった。散歩がてらカフェか何かをみつけて、フリーワイファイの恩恵に預かろうと思っていた。しかし、その淡い期待はすぐに打ち砕かれた。

しばらく歩いていると、前方に何か毛束のようなものが転がっていた。何だろうと、見てみると、なんと、犬の死骸が干からびていた。

f:id:akiraaraki45:20190618140916j:image

 

流石、砂漠地帯だけあって、腐り方が全然違う!しかも、姿かたちがそっくりそのままである。内臓や肉はほとんど無かったので、もしかしたら他の動物に食べられたのかも知れない。その割には綺麗に残っているが。

幸先が悪いなぁと思いつつ、歩を進めると、もう一体ゴミに埋もれて死んでいた。何という過酷な環境なのか。しかも、道を進んでいく毎に、周りの景色が荒廃していくのはどういうことなのか。大きな建物は鳴りを潜め、ほぼ崩れかけの建物が立ち並び、店という店は無い。

 

お目当のモスクにたどり着いた。

f:id:akiraaraki45:20190630170952j:image

 

モスクはとても立派で、綺麗だったが、何だか居心地は良くなかった。荒廃した大地に一つポツンと建っている様が、場違いだと感じるほどに、周りとの落差が凄かった。モスク以外は全て、おそらく住居と思われる石造りの建物ばかりで、そこら中にゴミが散乱している。そして、そのゴミをヤギの群れが漁っている。ヤギ達は一日中ゴミを食んでいる様だったが、大体は痩せていた。

 

f:id:akiraaraki45:20190630171553j:image

どうやら、ここは昔ながらの住人達が住んでいる貧困地区だった様だ。ダハブで気が抜けたのか、カフェなどと浮かれていた自分が恥ずかしくなった。ヌエバとダハブとは、全く異なる町だ。

 

子供達

暫く歩いていると、遊んでいる子供達4人組に出くわした。出会い頭に金をせびってきたが、気分が乗らなかったので、あげなかった。暫く話していると、隣の家から女性(出会った子供達のご近所さん)が出てきて、お家の庭にあげてもらった。水をご馳走になって、少しだけお話をした。

彼女は21歳、ほぼ私と同い年で、二児の妻だ。一応、街の中にいくつか学校があって、子供達はそこに通って英国数社、日本と同じようなことを勉強しているらしい。日本のことは、おそらくテレビなどから知っているらしく、別れ際に、子供を日本に連れて行って、と言われた時は何とも言えない気持ちになった。お布施ということで、彼女の作ったアクセサリーを20ポンドで購入。

f:id:akiraaraki45:20190630171539j:image

 

子供達も商売

彼女の家を去った後、最初の子供達が、私を家族のところへ案内してくれた。というより、うちのところでも何か買ってくれということらしい。お布施パート2ということで、ネックレスを20ポンドで購入。この子達は、最年長でも10歳ほどの比較的幼いグループだったのだが、親に仕込まれているのか、それとも自分たちの経済状況をひしひしと感じているのか、家族にお金を落とそうと頑張っていた。私の実感だと、後者だと思う。何故なら、大人達はあまり強引にものを売りつけようとはしなかったからだ。その後、その子のまた親族的なところに連れていかれ、お土産を買わせようとしてきたので、流石にめんどくさくなって断った。その後、またゆっくりと徒歩で港付近まで帰ってきた。

 

その帰り道をとぼとぼ歩きながら、その地区の貧しさに一種の悲しみを覚えた。インドみたいにゴミだらけで、犬の死骸もたくさんある。そんな貧しい地域で暮らしている人たちの気持ちはわからない。女性は、おそらく早々にお見合い結婚か何かをしてしまって、子育てに専念するのだろう。男性も、町の中心部であくせく働き、家族を養う。みんな、ほとんど一生をあの村の中で過ごすのだろうか。

 

カフェで時間つぶし

その後、また同じカフェで時間を潰しながら、ダメ元でスタッフに聞くと、なんとwifiが飛んでいた。お願いしてwifiを使わせてもらいつつ、YouTubeを見ていた。こんなに長くyoutubeを見るのは久しぶりである。19時になると、お腹がすいてきたので、近くのチキン屋さんで定番チキンセットを食べた。店にお願いして充電もさせてもらった。食べ終わって、ちょうど8時ごろになったので、窓口に行って、船のチケットを買う。75ドル...やはりあまり安くはない。明日の朝7時に港に行くように言われた。

 

その後、例の待合所に行くと、いつのまにか開いていた。おそらく17時か18時ごろに開くらしい。一安心して、ホテルまでバックパックを取りに行く。イイマーンのおっちゃんは、無料でバックパックを置いておいてくれたので、心ばかりに、10ポンドを渡しておいた。

f:id:akiraaraki45:20190630164705j:image

↑外は結構暗いです。

 

wifi乞食と化す

その後、wifiと充電があるのをいいことに、3時間ほどカフェで過ごした。おそらく、ティーを4杯くらいは飲んだかな。その間は、暇だったので隣のキヨスクの子供と遊んだ。せっかくなので、日本製のお守りをプレゼントしてあげた。

 

f:id:akiraaraki45:20190630165337j:image

↑貸してあげた傘で遊ぶ女の子

 

その子の親とも話したが、船の料金はエジプト人で50ドルだそうだ。やはり外国人価格が適用されるのか...。だが、ヨルダンから帰ってくるときは、エジプト人も外国人扱いなので、75ドルかかるらしい。エジプト人の所得で75ドルはきついだろ...。

 

待合所で就寝

夜の2時頃になり、流石にもう寝ようと、待合所にお邪魔することにした。中には、職員がおり、船のチケットの有無を確認される。そこもパスして、ようやく寝ようとベンチを探すも8割方ほかのエジプト人で埋まっていた。職員曰く、お前は女だから、女専用のエリアで寝ろと言われ、連れて行ってもらったところで寝ることになった。

f:id:akiraaraki45:20190630165317j:image

↑めっちゃ明るい。自販機で飲み物買える。その横の扉はトイレ🚽(もちろん女用は閉まっているので、男の方をつかった。言うまでもなくクソみたいな汚さ)

 

寝ようと思ったのだが、ここで一つ問題があった。それは、何故か知らないが、職員どもが爆音でドラマを流していると言うことだ。上の写真でも、見切れてはいるが、テレビが映っているのが確認できるだろうか。おそらく、こいつらは夜寝ずの番をするらしく、暇を持て余してドラマを見ているようなのだ。だがしかし、何故そこまで爆音にしなければいけないのかというほどガンガンに流す。しかも、よく見たらスマホいじってて碌に見てないし。おかげでほとんど眠れずの状態で朝を迎えることになった。一体誰得のドラマだったんだろうか。

 

 

 

 

エジプト日記 髪を切る

髪を切ることを決意

ただいま、5月の下旬にて、気温が40度を超えるようになってきた。何をやるにも暑くてたまらん。もうこうなったら髪を切るしかない!ということで、散髪屋にトライすることに。グーグルマップで見つけた一番近い散髪屋を目指して出発!


f:id:akiraaraki45:20190523004255j:image

f:id:akiraaraki45:20190523004319j:image

 

そこら辺の人に連れて行かれる

意気揚々と飛び出したはいいものの、グーグルマップの位置情報が雑すぎて場所がわからず。そこら辺のエジプト人に聞きまくるも、嘘か真か全く見つかる気配なし。30分ほど経ち、やっとそこら辺の通行人が、近くの散髪屋に連れて行ってくれることになった。しかし、結局店を調べた意味はなくなってしまった。やっぱりこうなるのね...。連れて行かれた先には、細い路地の突き当たりにあるちょっとボロめの店。しかもどう見ても男用である。男の写真しか貼ってねぇ。

 

施術開始

とりあえず、空いている席に座り、イメージ画像を見せてみる。イメージ画像は、グーグルで女 ツーブロック と検索すると出てくるようなありきたりの写真である。店員の様子を見るにできそうなので、お任せすることにした。ちなみに、言葉はほとんど通じないので、本当にお任せである。

 

思ったよりも...

早速、店員のにいちゃん、バリカンを取り出し、後頭部をばりばり剃り出す。この時点で、後頭部は2mmくらいのサバンナと化した。それから耳周りのもみあげを全て刈り上げる。途中で何か色々問われたが、よくわからないので、相槌を打ちまくる。すると、どんどん刈り取られていく髪の毛たち。

 

それから、前髪をバッサリとパッツンに...もう言葉が出なかったよ...綺麗に眉毛に沿ってジャキジャキにしていく。どんどん雲行きが怪しくなっていくし、自分はメガネ派だったので、施術中は鏡がぼやけて全く何も見えない。これはやっちまったかもしれねぇ。

 

それから、シャンプーの時間に移った。こっちでは、蛇口に顔を突っ伏して洗うスタイルだった。めちゃくちゃ水垂れてますけどぉぉぉぉ。それからは乾かしてスタイリングの時間だった。ドライヤーでふわっと乾かすのかと思いきや、温風をガバガバと頭皮に当てていくスタイル。めっちゃ熱いんですけどおおおおお。こ、これがヘアアイロンの代わりだと言うのか...恐ろしい....。その後、スタイリング剤をつけて、しかも色もつけて終了。出来上がりがこちら。


f:id:akiraaraki45:20190523004411j:image

f:id:akiraaraki45:20190523004236j:image

 

あれぇ....意外と...いい感じやないか...

 

割と自分好みの髪型になりました。やったね!

しかもこれで100エジプトポンド(日本円にして650円程)である。なかなかいんじゃねぇの?!

ちなみにこの店はマップには載っていなかった。たまにはこうやって冒険してみるのもいいかもしれない。

エジプトで本業に戻る

お久しぶりです

インドからエジプトに渡ったのち、サボりぐせでパッタリと更新をやめてしまったのだが、またやる気が出てきたのでぼちぼち更新していこうと思う。

 

状況

今、私はエジプトでアラビア語の勉強をしている。二ヶ月ほど経っただろうか。なぜこうなったかというと、それには深い理由がある。

 

元々、私はアラビア語に関係する学部に所属しており、アラビア語の勉強も本業のうちだったのだ。しかしながら、退屈な講義の毎日に辟易してしまったので、東南アジアなどに行っていたのだ。もちろん、一人旅ができるかどうかを確かめたかったのもあるが。

 

それで、本来はエジプトの後も旅を続け、南米などにも行ってみようと画策していた訳だが、エジプトにいる同級生が一生懸命勉強している姿に、物の見事に感化され、アラビア語を再開してしまったのである。なぜエジプトなのかというと、単純に安いから、である。言葉を学ぶ際に、もちろん学校に通う訳だが、その費用が、国によっては笑えない額になったりするので、仕方なしである。

 

これから

これからは、不定期更新で、エジプトであった小話をちょいちょい更新していけたらと考えている。(しようしようと考えていたらいつのまにか2ヶ月ほど経ってしまった。)エジプトはとても快適に過ごせる国なので、その魅力をお伝えできれば...と思う。

 

そして、インド編が完成するのはいつになるかわかりません。

デリー 1日目 休養日

宿にたどり着いた!

宿は、入口がすごくわかりにくかった。小さくて、看板がちょろっと付いているだけだ。朝で、まだ他の店が開いていなかったため、見分けることができたが、周りが賑わう時間帯だと、さらにわかりにくいのだろうなぁと。

f:id:akiraaraki45:20190309144752j:image

↑今回泊まったのはこちら。日本人宿ではないが、日本人や韓国人がたくさんいた。まあ、安いからね。

 

運良くベッドが空いていたので、着いて1時間ほどで、チェックインすることができた。もう、ずっと下痢が止まらない状態で、苦しかったが、このホステルは、トイレが5個もあったので、いつもどこか一つは絶対に空いていたのが救いだった。

 

メインバザールストリート

とりあえず、何か食わねばと思い、周辺のメインバザールストリートを散策してみた。すると、宿の目の前に綺麗なカフェがあったのと、少し左側にいくと、ゴールドラッシーというラッシーのお店が目に入った。まず、ゴールドラッシーに向かうと、ココナッツラッシーやバナナラッシーなど、たくさんの種類がメニューに。最初なので、普通のラッシスモールサイズを頼む。すると、かなり大きめのカップに並々と注がれていくラッシーの姿が。予想外の大きさに、戸惑いつつも完食。

 

その後、固形物もお腹に入れておこうと、件のカフェに入って、ブラウニーとチャイを頼んだ。インドとは思えない綺麗さを誇るジャーマニーのカフェで、ブラウニーは70ルピーと、チャイはこの大きさで25ルピー。やはり、カフェだと少し高めだが、綺麗さと美味しさは、腹をやられている私にはとてもありがたい。時間をかけてゆっくりと頂いたのち、宿に帰った。


f:id:akiraaraki45:20190225034648j:image

f:id:akiraaraki45:20190225034643j:image

 

寝まくる

宿に帰ったのち、まだお昼ほどだったが、ひたすら寝まくった。ホステルは、予想以上にいい部屋で、何よりインドとは思えないほど綺麗だった。これで1ナイト250ルピーである。最初は8人部屋で予約していたが、どうやらその部屋は男ばっかり入っていたため、6人部屋に移された。料金は前払いしていたので変わらずである。とてもラッキーだった。

f:id:akiraaraki45:20190225034741j:image

 

バラナシ → デリー 小綺麗な電車の中で

デリー行きは違う...

大学から帰ると、もうすっかりクタクタになっていた。時刻は16時ほどで、18時半に宿を出発すれば間に合うので、しばらくは宿の屋上レストランでゆっくりさせてもらうことにした。屋上だけあって、宿からの景色がすごく綺麗だったので、日の入りを撮らせていただいた。レストランには、テレビがあって、そこではイギリスのドラマ?がやっていた。やはり、英領時代の名残なのか、英語でやっていて、インド人は普通に見ていたので、日本人よりは日常に英語が溶け込んでいるのだろうと想像がついた。そして、そうこうしているうちに、駅に向かう時間に。

f:id:akiraaraki45:20190304211714j:image

↑自分にしてはなかなかうまくいった方。自慢の一品。

 

宿の人に頼んで、200ルピーでオートリクシャーに乗り込む。二泊三日だったが、意外と楽しめたと思う。長い滞在の後は、短くサクッと行くのがまた、楽しいというものである。それに、バラナシはこじんまりしている街なので、そこまで長い滞在はいらなかった。

 

電車に乗ってみると、びっくりしたのが、とても綺麗だったということだ。イスの汚れやファンの色が、今までに乗ったものとは大違いだった。それに、もう一つ。旅行者の面々の中に、欧米人が何人か混じっていたことだ。さすが、デリー行きは一味違う!流石にアジア人の姿は見なかったが、それでもだいぶん気持ちは軽かった。バラナシまでの電車のちょっとしたトラブルが尾を引きずっていたからだ。他のインド人も、海外旅行者になれている感じで、今までで一番目線が気にならなかった。スリーパークラスに乗りたいけど、怖くて迷っている人は、デリー発着の電車を使うことをお勧めしたい。

f:id:akiraaraki45:20190307075806j:image
f:id:akiraaraki45:20190307075737j:image

↑綺麗さ伝われ...!!!

 

疲れと下痢

この日は、やはり消化不良なのか、お腹が全く空かない日で、晩御飯も入らなかった。バラナシで、連日歩きすぎたのもあり、乗車後1時間ほどでぐっすりと寝込んでしまった。そうして、朝の6時くらいに起床。しかし、お腹の調子が悪く、下痢が止まらない。相変わらず痛みはないのだが、とにかく水下痢である。1時間に3回ほどの頻度で、トイレに向かう羽目になった。しかし、到着が8時くらいで、ギリギリになってくるとトイレも混んでくるし、汚くなっていく。(といってもトイレもとても綺麗な電車だった。)

 

朝から幸先が悪い中、ニューデリー駅に降り立つ。駅からホステルまでは、まっすぐ歩いて15分ほどだったので、荷物を背負ったまま、歩き出す。ニューデリーにも、安宿街があり、パハールガンジというエリアである。ニューデリー駅を出てまっすぐ進めばすぐにわかる。

朝が早かったので、人の姿はあまり見られず、下痢がしたかったので、足早に歩を進めていると、変なインド人に声をかけられた。そいつがいうには、近くにgovernment Officeがあり、そこで地図が手に入るので、案内するというものだった。自分はすでに宿の場所を特定済みだったので、めっちゃ宿近いアピールをしつつ、必死にウンコを押し込めながら歩いた。そいつは、私が歯牙にも掛けない様子を見て、離れていった。インド人のいうgovernmentなんたらは99パーセント信じてはいけない。

バラナシ 3日目 大学へ潜入

まさかの寝坊

昨日申し込んだツアーは覚えているだろうか。朝、起きてみると朝の6時50分...集合時間は6時である。だめだこりゃ。充電がうまくされておらず、スマホの電池が切れていたため、アラームが鳴らなかったようだ。意気消沈しながら、ツアー元に電話をかける。ヒングリッシュ(インド人の話す英語のこと)は相変わらず難解で、相手が何を言っているのか全くわからない。とりあえず来いと言われたので、カフェまで行くことに。しかし、スマホは充電がないため、置いていくことにした。

 

カフェに着くと、昨日の主人がおり、もし望むなら今からでも船を出せるが、元々のツアーは二人乗りで250rsだったので、プライベートのツアーでは1時間500rsと言われた。ここまできて、船に乗らないのも残念なので、乗ることに決定。金を払うと、案内人がやってきて船まで案内してくれた。彼がドライバーかと思ったら、全然違った。変なインド人のおっちゃんを連れてきて、どうやらそいつが漕ぐらしい。船が漕ぎ出す。スマホを持ってくればよかったと後悔したが時すでに遅しである。そのおっちゃんに、スマホを持っているか聞いたが、お家にあるって言ってた。だめかー。

 

その後、小さなボートに、おっちゃんと二人きりでゆっくりとガンガを満喫した。ガンガの上から見るガートの景色は、とても美しかった。階段状になった河岸から、お城のような外観のホテルやゲストハウスが密集して立っており、その中にドーンとひときわ存在感を放つシヴァ様の寺院。こちらを見つめるシヴァ様の目。プライベートボートだったので、船の上に寝っ転がって(個人的にはそこまで汚くはなかった。)、空や、ガートの景色や、河の対岸をゴロゴロしつつ見ていた。本当に写真をお見せできないのが悲しい!気になる人は是非バラナシまで行ってみてください!

 

へんなインド人に気をつけろ!

その後、件のあまさんとメインガートで待ち合わせをして、一緒にご飯を食べようと言う話になった。メインガートに先に着いたので待っていると、日本語を喋る変なインド人に声をかけられた。と言うか実は、昨日も同じやつに声をかけられて、つれない態度で追い払ったばかりだったので、その件で絡まれたわけだ。こいつがめちゃくちゃうるさい。私の彼に対しての態度が気にくわないらしく、執拗に絡んでくる。とはいえども、旅は自己責任だし、100パーセント他人を信用するほど、バカなことはない。ごちゃごちゃ言ってるのを聞き流しつつ、あまさんと合流してすぐにおさらばした。

 

昼飯

昼飯は、尼さんと一緒に韓国カフェに入って食べることにした。メインガートを少し下ったところの、入り組んだ迷路のところは、日本人宿や韓国人宿だけでなく、日本人や韓国人用のカフェがたくさんある。そこを散策してみるのも面白いが、今回はちょっと疲れていたのと、お腹も空いていたので早々に入る。韓国風海苔巻きを頼んだ。時間は30分くらいは軽くかかったが、(インドはどこもそんな感じ)クオリティはかなりいい。中身は、全て野菜で、人参きゅうりともう一つ何か入っている。韓国風なので、酢飯は使われておらず、しかしながら素朴で繊細な味わいがうまい。韓国料理は、意外と日本料理と共通点があると言うか、味の繊細さが同程度はあると思う(辛さを抜きにすれば)。海外で日本食が食べたくなって、しかし近くにないときは、韓国料理を食べることをお勧めする。その場合は辛くない料理を選ぶべきだが。

 

f:id:akiraaraki45:20190306051112j:image

 

クレイジーリクシャー

腹ごしらえが終わると、私は大学の方へ行きたかったので、ベンガリートラの真ん中ほどで尼さんと別れた。そこから大学までなかなか距離があったので、リクシャーを使うことに。

→リクシャーとは、アジアによくある、タクシーとバイクの中間のような交通機関である。東南アジアではトゥクトゥクと言う。値段は決まっておらず、だいたいが交渉しなければいけないので、乗るのはめんどくさい。相場はだいたい1キロにつき20ルピーくらいと言われているが、場所によって変わるので、事前に相場くらいは情報収集はしたほうがいいだろう。初心者は、複数人で乗れば割り勘もできるので、おススメ。

 

しかし、ベンガリートラのリクシャー運転手たちは凄かった。獲物に群がる肉食獣のように、次から次へと出てきて、乗れ乗れとうるさい。聞いていると、大学までは、オートリクシャーで200ルピーという。しかし、バラナシ駅までオートリクシャーで200から250ルピーくらいが相場なので、距離的にはぼったくられている感が半端なかった。もううるさすぎてわけがわからなかったので、そこらへんのお店の人にヘルプを求め、色々話して、結局人力リクシャーで、100ルピーで話をつけた。

 

潜入!バラナシ大学

そうしてやっとこさバラナシ大学のメインゲートを通り越して大学に侵入を果たす。私の目的は日本語専攻の人たちに会いに行くことだった。事前情報で、宿の女将さんに、この大学には日本語専攻があることはしっかり調査済みである。

しかし、大学は予想外にドチャクソ広くて、どこに日本語専攻があるのか、全くわからず。ただ、文学部にあることはリクシャーを拾うときに、教えてもらったので、その辺の生徒を捕まえて、まずは文学部を目指すことにした。

f:id:akiraaraki45:20190307072319j:image

↑ベンガリートラをまっすぐ進むとメインゲートがドカンとある。

 

リクシャーの運ちゃんに、近くの留学生寮に降ろしてもらった。100ルピーの約束だったが、チップが欲しいとねだられる。かわいそうだったので、1ルピーだけあげた。

 

さて、留学生寮で、そこらへんにいた中国人ぽい人に文学部の場所を聞いて、道なりに進んでいくと...なにやらそれっぽい校舎を発見。ちゃんと文学部の看板もあった。

f:id:akiraaraki45:20190308073108j:image

 

我ながら図々しいものの、ズカズカと入り込んで、日本語専攻の場所を聞き、職員室の前に行って、先生らしい人に日本語専攻の話を聞いていると、日本語専攻の生徒たちが何人か集まってくれた。しかも、生徒たちが大学内を案内してくれることに!いやー、やってみるもんですよ。

 

まず最初に向かったのは、大学の中にあるシヴァの寺院だった。このバラナシには、シヴァの寺院が10000個以上あるらしく、ここは、その中でも比較的長い歴史を持っているらしい。

中は撮影禁止だったので、外観だけここに載せておく。

f:id:akiraaraki45:20190308203046j:imagef:id:akiraaraki45:20190309065517j:image

 

中には、シヴァを始め、ガネーシャやパールバティ、ハヌマーンなど、有名なインドの神様たちがバラバラに祀られており、そこを順番に回りながらお参りをした。それが終わると、近くのカフェ屋台で、特製のアイスコーヒーを奢ってもらい、それから文化祭のような催しも見させていただいて、大学の歴史も教えてもらった。バラナシ大学は文学部から始まった大学らしく、文学部の歴史が長いんだとか。そして、みんなで記念写真を撮って、最後は一番左端の彼が、バイクで宿まで送ってくれた!

 

f:id:akiraaraki45:20190225040320j:image

 

意外と、大学によってみると、思わぬ待遇を受けることもあるよというお話でした。

バラナシ 2日目 サブストリートは楽しい

サブストリート発見

昨日は、メインストリートを歩いたので、今度はガンガとメインストリートの間にある、迷路の様な道を探索しようと思い、川との途中から内側に入ってみた。すると、相変わらず細っこい道がずーっと続いていたが、だんだんと商店街の様相を呈してきた。おしゃれなカフェや、お馴染みのチャイ屋など、細い道にごちゃごちゃとお店が並ぶ。難波の商店街の、道幅を3分の1にして、バイクの量を3倍に増やした感じで思ってくれていい。そうなのである。インドでは、狭い道だろうが住宅街だろうが平気でバイクが跋扈しているのだ。しかも、通りざまにどでかいクラクションのプレゼント付きで。

f:id:akiraaraki45:20190225033441j:imagef:id:akiraaraki45:20190225033448j:image

↑狭い道      ↑おしゃカフェ

 

途中にあるシヴァカフェというカフェでパンケーキを食べた。食べている途中で、店内のボードに貼ってあったとある広告に目が溜まる。そこには、一人250rsで、ガンガの上のボートから日の出を見るというツアーだった。ツアーの相場は知らないが、250くらいなら払う価値はあると思ったので、即、ツアーに申し込むことに。明日の6時にここに集合と決まった。明日が楽しみだ。

 

このサブストリート、なかなかおもしろい。この前に行ったメインストリート(ベンガリートラストリート)よりも個人的には面白かった。なぜなら、おしゃれなカフェがたくさんあることと、迷路の様にくねくねしていて、その中にゲストハウスも散在していたからだ。しかもしかも、驚くなかれ、なんと、日本語や韓国語がふとしたところに書かれていることが多い。どうやら、日本人宿や韓国人宿が密集しているエリアの様だ。せっかくなので、隠れ日本人宿を探す旅に出ることにした。

 

メインガートで宿巡り


f:id:akiraaraki45:20190225033520j:image

f:id:akiraaraki45:20190225033530j:image

f:id:akiraaraki45:20190225033525j:image

f:id:akiraaraki45:20190225033539j:image

f:id:akiraaraki45:20190225033549j:image

 

わかりやすい様に、↑に一通り写真を並べてみた。もちろん、これ以上にたくさんの日本語や韓国語の看板を見ているが、紹介しきれないので5つほどに絞っている。

 

基本的に、バラナシで有名と言われている日本人宿は3つある。ルドラ、久美子、サンタナである。サンタナは、インドと日本にチェーン展開しているゲストハウスで、インド旅行をした日本人では、お世話になった方が多いのではなかろうか。久美子の家は、文字通り久美子さんというおばさんがやっているゲストハウスで、大麻宿で有名である。そのため、ネットではあまり評価が高くないが、利用していた人のクチコミは良いし、私が訪問してみたときは、部屋がいっぱいで入れないくらい繁盛していた。

ルドラは、日本人の奥さんとインド人の旦那さんがやっている宿で、客層が、若い人が多い印象。今バラナシで一番人気の日本人宿ではないだろうか。

他にも、フレンズゲストハウスという、インド人家族が経営しており、16歳の男の子が働いている所にもお邪魔した。近くには、中国人宿もあったし、韓国語も沢山書いてあったので、韓国人宿もあると思う。

 

晩飯

ルドラの奥さんに、近くの美味しいビリヤニ屋さんと、チキンロール屋さんを教えてもらったので、今日の晩飯はそこで食べることにした。場所は、ゴードウリヤー交差点からもっと北上したところにある、ムスリム地区にある。f:id:akiraaraki45:20190302175045j:image  f:id:akiraaraki45:20190302175506j:image

↑メニューが全部ヒンドゥー語で読めない。

 

ムスリム地区なので、ビリヤニは、ビーフかチキンか選べるようだったが、気分的にチキンを選択。これが結構辛めで、舌がかなりピリピリした。しかし、中に入っているチキンだけ別格にうまかった。チキンだけ食べたいレベル。食べていると、前の席に座っていたにいちゃん達から、パンをおすそ分けしてもらえた。チャパティのようなのだが、中が空洞の二重構造になっていて、ちょっと豆っぽい味がした。

f:id:akiraaraki45:20190302175451j:image

 

食べた後は、ムスリム地区をウロウロと散策してみた。そこら辺一帯は、バザールが延々と並んでいて、道もくねくねと入り組んでいた。しかし、観光客は私以外全くおらず、現地人の買い物の場のようだった。軽く迷子になりながら、元のビリヤニ屋さんに戻ってきて、隣のチキンロール屋さんでうまいと噂のチキンロールを買って、歩きながら食べた。

 

出会い

チキンロールを食べつつ、メインガート付近の帰り道を歩いていると、後ろから声をかけられた。アニョハセヨと。振り返ってみると、韓国人の女性だった。キャリーバッグを持っており、どうやら、宿にチェックインする前なのだが、宿の場所がわからず途方に暮れていたらしい。彼女の宿を探すべく、まずは近くのチャイ屋で一服しながら、話を聞くことに。

 

彼女曰く、パトナから電車で昼にこっちに着いた。いくつか候補の宿はあるが、いずれの宿にも予約はしておらず、部屋の空き具合と料金で決めたいということだ。因みに彼女、なんと尼さんで、頭は坊主である。たしかに、パトナは観光地ではなく、行く人もほとんどいないので、不思議に思っていたが、パトナにある御本尊をどうしても見に行きたくて、ということだった。チャイ屋の主人にホテルの場所を聞いて、それから二人で宿探しの旅が始まった。

 

その宿は、ガンガ沿いのガートにあるようなので、とりあえずメインガートからガンガ沿いの道に降り、歩きながら必死にホテルの看板を探した。しばらくすると、大きな看板が見えた。

あった!やっと着いた!

しかし、ホテルにたどり着くまでにかなりの階段が....!!ヒイヒイ言いながらホテルのレセプションへ...そこは私が思っていたよりずーっといいホテルで、(もちろん私の泊まれるような安宿ではない。)エアコンもちゃんと効いている素晴らしいところだった。尼さんの方も長旅の疲れからかソファの上に腰を落ち着けてちょっとぐったりしていた。部屋の値段を聞いてみると、シングルで一泊2000ルピー(3000円程)だという。ただ、尼さん的には500ルピーから1000ルピーほどを考えていたらしく、とてもじゃないが、無理ということに。別の宿に頼んで、電話で情報を聞いて、送迎サービスを頼むことにした。その宿はシングルルームで500ルピーで、空きがあるという。2分でいくと言われ、待つこと40分。一人の男がレセプションに現れた!

 

そうして、男の後をついていくと、意外と結構な距離を歩いてホテルまで着いた。道は、階段が随所に散りばめられた、見事な悪路で、徒歩で30分は軽くかかったと思う。ガートの付近なので、仕方がないだちゃ仕方ないのだが、何が2分じゃい...

 

そのホテルはインド人と韓国人の奥さんが経営しているところらしく、韓国人宿として有名な場所であった。他のゲストにも、韓国人の方がたくさんいて、色々お話をした。

 

夜のお祈りを見つつ帰る

お話に夢中になっているうちに、いつの間にか夜の19時になっていた。せっかくなので、宿に帰る途中で、メインガートでのお祈りを見ようと思い、そこの宿を後にした。

 

宿からガンガに出て、ガートを下っていく。メインガートに近づくにつれて、人がだんだんと増え、灯の数も比例していく。メインガートに辿り着くと、ヒンドゥー教徒皆さんが、一斉に同じ方向に向かって祈っていた。時々、司祭の人が神の名前を言うと、皆で手を上げて名前を復唱する。毎日行われているとは思えないほどたくさんの人で賑わい、押し合いへし合いしなければ進めないほどだった。歩いている途中で、おでこに赤いやつを押されて、バクシーシをせがまれたので、10ルピーだけあげた。たまに100ルピーとかあげる人がいるが、個人的には10ルピーだけでいいと思う。


f:id:akiraaraki45:20190225033657j:image

f:id:akiraaraki45:20190225033653j:image

 

こうして、20時ごろに宿にたどり着き、1日が無事に終わりましたとさ。